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横浜地方裁判所 昭和55年(わ)406号 判決

本籍

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番

住居

同県同市極楽寺一丁目一一番一〇号

会社役員

加藤寛

昭和一九年一月一日生

本店所在地

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号

法人の名称

株式会社加藤

代表者の住居

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号

代表者の氏名

加藤寛二

右被告人加藤寛に対する所得税法違反及び法人税法違反被告事件並びに被告人株式会社加藤に対する法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官高橋邦郎、弁護人柿沼映二(主任)、同野口啓明各出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人加藤寛を懲役一年六月および罰金三〇〇〇万円に、被告人株式会社加藤を罰金三〇〇万円に各処する。

被告人加藤寛において右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

被告人加藤寛に対し、この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人加藤寛は、昭和五二年八月九日までは東京都墨田区内に居住し、その後は肩書住居に居住し昭和四九年一一月ころから東京都内及びその周辺において、キャバレー、バー等の店舗を逐次開設し、実父である加藤寛二の輔佐を得ながらこれらの店舗を個人で経営していたものであり、被告人株式会社加藤は昭和五二年七月五日、株式会社藤として設立されたが、その後同年一一月二八日株式会社加藤と商号を変更し(以下被告会社という。)、神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号(昭和五二年七月五日から同年一一月三〇日までは東京都墨田区江東橋五丁目九番八―四〇二号、同年一二月一日から昭和五四年一〇月一四日までは神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号、同月一五日から昭和五七年七月三〇日までは東京都江東区住吉二丁目六番七号)に本店を置き、バー、キャバレーなどの経営を主として行っている資本金八〇〇万円の株式会社であり、被告人加藤寛は、前記個人営業のかたわら、被告会社設立当時から被告会社の代表取締役(ただし、昭和五七年四月二九日辞任)として、前同様に加藤寛二の輔佐を得ながら被告会社の業務全般を統括していたものであるが、

第一  被告人加藤寛は、自己の個人所得について所得税を免れようと企て、収入の一部を除外して簿外預金を蓄積するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一  昭和五一年分の実際の総所得金額が一億二五九八万六一六五円(別評一の(一)、所得金額総括表及び同(二)、修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、昭和五二年三月一五日東京都墨田区業平一丁目七番二号所在の所轄本所税務署において、前記加藤寛二を介して同税務署長に対し、被告人の所得金額が四八三万四八五五円で、これに対する所得税額が四二万九八〇〇円である旨の虚偽の事実を記載した所得税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により昭和五一年分の正規の所得税額七九〇九万二一〇〇円と、右申告税額との差額七八六六万二三〇〇円(別評五の(一)、税額計算書参照)を免れ

二  昭和五二年分の実際の総所得金額が八八一四万一三七四円(別評二の(一)、所得金額総括表及び同(二)、修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、昭和五三年三月一四日神奈川県藤沢市朝日町一番地の一一所在の所轄藤沢税務署において、前記加藤寛二を介して同税務署長に対し、被告人の所得金額が一三八九万四九七円で、これに対する所得税額が三二八万八六〇〇円である旨の虚偽の事実を記載した所得税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により昭和五二年分の正規の所得税額五〇六四万八〇〇〇円と、右申告税との差額四七三五万九四〇〇円(別評五の(二)、税額計算書参照)を免れ

三  昭和五三年分の実際の総所得金額が五一八一万四七三五円(別評三の(一)、所得金額総括表及び同(二)、修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、昭和五四年二月二二日所轄の前記藤沢税務署において、前記加藤寛二を介して同税務署長に対し、被告人の所得金額が給与所得と不動産所得のみで、一四四八万一三二五円で、これに対する所得税額はすでに源泉徴収された税額を控除すると、七八万八〇八〇円の還付を受けることになる旨の虚偽の所得税確定申告書を提出するとともに、更に右加藤寛二を介して昭和五四年三月一四日右藤沢税務署において、同税務署長に対し、前記被告人の個人経営の事業所得の一部につき加藤寛二名義で、昭和五三年分の総所得金額が一六一万八四〇〇円で、これに対する所得税額が一四万二五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により昭和五三年分の正規の所得税額二〇三三万六七〇〇円と、被告人加藤寛に還付した金額との合算額二一一二万四七〇〇円(別表五の(三)、税額計算書参照)を免れ、

第二  被告人加藤寛は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外し、被告人加藤寛名義の個人預金に混入させるなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五二年七月五日から昭和五三年三月三一日までの事業年度における被告会社の実際の所得金額が三七三七万六六六一円(別表四、修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、昭和五三年五月三〇日所轄の前記藤沢税務署において、前記加藤寛二を介して同税務署長に対し、被告会社の所得金額が四三七万七一〇九円で、これに対する法人税額が一二二万五五〇〇円である旨の虚偽の事実を記載した法人税確定申告書を提出し、そのまま納期限を徒過させ、もって不正の行為により被告会社の右事業年度における法人税額一四三二万四〇〇円と、右申告税額との差額一三〇九万四九〇〇円(別表五の(四)、税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

判示事実全部につき

一  被告人加藤寛の検察官に対する供述調書六通

一  被告人加藤寛の大蔵事務官に対する質問てん末書一四通

一  加藤寛二(五通)及び小西貞夫の検察官に対する各供述調書

調書

一  加藤寛二(九通)及び福士幸男の大蔵事務官に対する各質問てん末書

判示冒頭の事実につき

一  登記官作成の商業登記簿謄本

判示第一の一ないし三及び第二の各事実につき

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の事務所勘定調査書、証拠説明書及び「起訴金額の訂正説明について」と題する書面

判示第一の一ないし三の各事実につき

一  大蔵事務官田中正人作成の売上調査書、雑収入調査書、仕入調査書、たな卸商品調査書、租税公課調査書、旅費通信費調査書、広告宣伝費調査書、接待交際費調査書、損害保険料調査書、修繕費調査書、消耗品費調査書、福利厚生費調査書、事務用品費調査書、会費調査書、給料調査書、地代家賃調査書、支払手数料調査書、出演料調査書、大沢昱支払金額調査書、加藤寛勘定調査書、貸倒金調査書、支払利息調査書、報酬調査書、雑費調査書、減価償却費調査書、繰延資産償却費調査書、貸付金調査書、什器備品調査書、売却損除却損調査書、売上もどし調査書、造作調査書、車両調査書、繰延資産調査書、補償金調査書、店舗権調査書、土地建物調査書、雑所得調査書、利子所得調査書、減価償却費(不動産所得)調査書及び水道光熱費調査書(給料調査書、雑所得調査書及び利子所得調査書はいずれも昭和五四年一二月三日付、その余の各調査書は同年一一月三〇日付)

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の除却損調査書、たな卸商品調査書(昭和五八年一一月一四日付)、現金過不足調査書、減価償却費調査書(同日付)、繰延資産償却費調査書及び支払利息調査書

判示第一の一及び三の各事実について

一  大蔵事務官番重嘉賢作成の譲渡損失調査書

判示第一の一の事実について

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の雑収入調査書、仕入高調査書、租税公課調査書、水道光熱費調査書、旅費通信費調査書、広告宣伝費調査書、接待交際費調査書、修繕費調査書、損害保険料調査書、消耗品費調査書、福利厚生費調査書、事務用品費調査書、会費調査書、給料調査書、地代家賃調査書、支払手数料調査書、出演料調査書、大沢昱勘定調査書、加藤寛勘定調査書、報酬調査書、雑費調査書、売上戻し調査書及び貸倒金調査書(右各調査書はいずれも作成対象期間を昭和五一年一月一日から同年一二月三一日までとするもの)

一  大蔵事務官田中正人作成の脱税額計算書(記録第五号と記載のあるもの)及び脱税額計算書説明資料(記録第六号と記載のあるもの)

一  押収してある加藤寛名義の所得税確定申告書在中の袋(昭和五一年分)一袋(昭和五七年押第七九号の1)

判示第一の二及び三の各事実について

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の昭和五二年分及び昭和五三年分ほ脱所得金額、ほ脱税額訂正についての上申書

判示第一の二の事実につき

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の雑収入調査書、仕入高調査書、租税公課調査書、水道光熱費調査書、旅費交通費調査書、通信費調査書、広告宣伝費調査書、接待交際費調査書、損害保険料調査書、修繕費調査書、消耗品費調査書、福利厚生費調査書、事務用品費調査書、会費調査書、給料調査書、地代家賃調査書、支払手数料調査書、報酬調査書、雑費調査書、出演料調査書、大沢昱勘定調査書、加藤寛勘定調査書、貸倒金調査書及び売上戻し調査書(右各調査書はいずれも作成対象期間を昭和五二年一月一日から同年一二月三一日までとするもの)

一  大蔵事務官田中正人作成の脱税額計算書(記録第八号と記載のあるもの)及び脱税額計算書説明資料(記録第九号と記載のあるもの)

一  押収してある加藤寛名義の所得税確定申告書在中の袋(昭和五二年分)一袋(昭和五七年押第七九号の2)

判示第一の三の事実につき

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の雑収入調査書、仕入高調査書、租税公課調査書、水道光熱費調査書、旅費交通費調査書、通信費調査書、広告宣伝費調査書、接待交際費調査書、損害保険料調査書、修繕費調査書、消耗品費調査書、福利厚生費調査書、事務用品費調査書、会費調査書、給料調査書、報酬調査書、地代家賃調査書、支払手数料調査書、雑費調査書、加藤寛勘定調査書、大沢昱勘定調査書、売上戻し調査書、出演料調査書及び貸倒金調査書(右各調査書はいずれも作成対象期間を昭和五三年一月一日から同年一二月三一日までとするもの)

一  大蔵事務官田中正人作成の脱税額計算書(記録第一一号と記載のあるもの)及び脱税額計算書説明資料(記録第一二号と記載のあるもの)

一  押収してある加藤寛名義及び加藤寛二名義の各所得税確定申告書在中の袋(いずれも昭和五三年分)二袋(昭和五七年押第七九号の3及び4)

判示第二の事実につき

一  大蔵事務官田中正人作成の売上調査書、材料費調査書、旅費交通費調査書、通信費調査書、水道光熱費調査書、広告宣伝費調査書、租税公課調査書、交際費調査書、新聞図書費調査書、会費調査書、消耗器具備品費調査書、消耗雑品費調査書、支払手数料調査書、支払運賃調査書、会議費調査書、清掃費調査書、福利厚生費調査書、雑費調査書、受取利息(法人分)調査書、雑収入調査書、加藤寛勘定調査書、貸倒損失調査書、減価償却費調査書(右各調査書はいずれも昭和五四年一二月四日付)

一  大蔵事務官番重賢嘉作成の労務費調査書、材料費調査書、給料手当調査書、たな卸商品調査書(昭和五九年三月二日付)、報酬調査書、給料手当調査書、事務消耗品費調査書、賃借料調査書、保険料調査書、修繕費調査書、旅費交通費調査書、通信費調査書、水道光熱費調査書、広告宣伝費調査書、租税公課調査書、交際費調査書、会費調査書、消耗雑品費調査書、支払手数料調査書、清掃費調査書、福利厚生費調査書、雑費調査書、雑収入調査書、加藤寛勘定調査書、貸倒金調査書、減価償却費調査書及び売上戻し調査書(右各調査書はいずれも作成対象期間を昭和五二年七月五日から昭和五三年三月三一日までとするもの)

一  大蔵事務官田中正人作成の脱税額計算書(記録第一四号と記載のあるもの)及び脱税額計算書説明資料(記録第一五号と記載のあるもの)

一  押収してある株式会社加藤名義の昭和五二年七月五日から昭和五三年三月三一日までの事業年度分の確定申告書在中の袋一袋(昭和五七年押第七九号の5)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人及び被告人らは種々主張するが、その主たる主張は、

(一)本件各年度における被告人加藤寛(以下、単に被告人という。)の経営とされる各店舗の実質的経営者は、被告人の実父で現在の被告会社代表者の加藤寛二(以下、単に寛二という。)であって、その事業所得はすべて寛二に帰属するものであり、そうでないとしても同人と被告人の共同経営であったから、被告人に帰属する事業所得は二分の一に過ぎず、(二)本件の所得税及び法人税の各確定申告手続は寛二が単独で行ったもので、被告人には脱税の犯意がないことはもとより、右確定申告手続に全く関与しておらず、更に(三)個人及び法人を含めて所得金額について、(1)売上高のうち一一分の一は料理飲食税で預り金であるから売上高から除外すべきであり、(2)モーターボートの購入費及び運行費用は福祉厚生費であり経費とすべきであり、(3)寛二が函館及び仙台へ行った際の旅費交通費は、営業資金調達のための経費であるから、損金あるいは必要経費として所得金額から減額すべきである、というものであるので順次判断する。

一  本件各年度における個人経営店舗の事業所得の帰属について

1 前掲各証拠及び第十五回公判調書中の証人青山昭男、同清水政信の各供述部分、第十六回公判調書中の証人石川信勝の供述部分、第十七回公判調書中の証人田川主計の供述部分、第一八回公判調書中の証人吉田善治郎、同青木峰彦の各供述部分によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 被告人は、昭和三八年ころ私立千葉工業大学機械工学科に入学し、昭和四四年三月同大学を卒業したが、同大学在学中の昭和四〇年ころから喫茶店のボーイやキャバレーの支配人などのアルバイトをするようになり、昭和四四年ころ以降は叔父である大沢昱及び大沢進と共に、バー、キャバレーを共同して経営するようになっていたもので、昭和四九年当時には、バー、キャバレーの経営について相当の知識経験を有するに至っていたこと

(二) 被告人は右大沢昱らと共同経営のため、当時函館に居住していた実父の寛二から多額の資金援助を受け、これを営業資金として投下し、専務と呼ばれていたものの、右大沢昱らが収益を勝手に処分し、被告人は一定の給料を貰うのみであったことからこれを不満とし、昭和四九年一一月ころ同人らから独立することになったこと

(三) 一方、寛二は被告人が大沢らに使用人のように扱われていることを知り、被告人を援助し、独立させようとの意図で、昭和四九年四月ころ、当時の職を辞して函館から東京に転居したが、寛二はそれまで主として石油関係の仕事に従事しており、バー、キャバレー等の水商売の経験を全く有していなかったこと

(四) 被告人は、昭和四九年一一月寛二の資金でキャバレー「グランドタイガー」を開店し、その経営を始めたが、その時点ではまだ大沢昱及び大沢進のもとで働いていたため、同人らの妨害を恐れ、知人の黒柳壬子夫にその営業を任せた形をとり、同月末ころになって右大沢昱らから文句を言われたのを機会に公然と独立し、退職金代わりとして台東区内のニュークインビー及び墨田区内のニュー浦島の二店舗の経営権を譲り受け、一店を同年一二月から、他の一店を昭和五〇年一月から経営するに至ったが、右三店の経理は寛二が担当し、同人が三店舗の収支を記帳し、各店の収入については各別に処理することなく一括してそのうちから各店の経費の支払を適宜行っていたこと

(五) その後、右グランドタイガーの店は採算不良で他に譲渡したが、他の各店の売上は順調に伸び、昭和五三年までに更に一三店のバー、キャバレー等を新規出店するに至ったところ、その間の職務分担は当初と変わらず、被告人が全店舗の営業全般を統括し、幹部職員の採用や各店のホステス、店員採用等に関する決定権を有し、各店の営業名義人の名義使用(風俗営業法違反の場合の配慮等から従業員名義にすることが多かった。)についても自ら依頼してその承諾を得ていること、また被告人は昭和五二年八月鎌倉へ転居するまでは、各店の営業終了後寛二と共に、鎌倉転居後は主として被告人が事務所で、各店責任者から売上金を受取り、現金出納簿に記帳し、売上累計帳を作成するなど経理関係にも一部関与していること、他方、寛二は事務所において経理関係全般を処理し、被告人の実印等を保管し、必要に応じてこれを使用していたほか、銀行との融資交渉も担当していたこと、売上金についても昭和五二年八月までは、事務所において被告人と共に各店責任者からこれを受取り、現金出納簿に記帳し、同月以降は横須賀及び大船の店舗が事務所から遠いため、鎌倉の自宅で右二店分の売上金などを受取り、翌日事務所に持参して、被告人が各店責任者から受取り、金庫に入れていた売上金などと一括し各店の経費支払等の事務も一括して行っていたこと

(六) 被告人及び寛二は定まった報酬を取ることなく、必要に応じ臨時最小限の生活費を取り、利益の残余は主として新規出店、改装等の費用に当てていたもので、新規出店については右利益の再投資と共に、被告人名による銀行借入がこれに当てられたこと

(七) 新規出店に要する銀行借入のための融資交渉は前記のとおり寛二が行ったが、その余の店舗用の物件の選択、店内の造作、人員の確保及び営業形態等、資金関係以外はすべて被告人が検討し決定していたもので、新規出店に関する最終決定は被告人が行っていたこと

(八) 被告人は自己名義で昭和五一年二月ころモーターボートを三五九六万円で、同年一〇月には店舗用土地建物を六〇〇〇万円で、また昭和五二年には自宅土地建物を一億五〇〇万円で購入したが、そのための銀行借入や支払はすべて被告人名義で行われていること

(九) 昭和五二年七月五日から個人経営店舗のうち三店は、被告会社の経営に組入れられていてるが、被告会社の代表取締役は同社設立当時から被告人であり、被告人は各店の従業員から社長と呼ばれていたこと(昭和五七年四月三〇日になって被告会社の代表取締役には寛二が就任し、同年九月一七日登記がなされている。)

(一〇) 店長級以上の幹部従業員や事業の顧問であった清水政信は、本件事業の経営者について、被告人単独あるいは被告人と寛二の共同経営と認識しており、寛二の単独経営と認識しているものはいなかったこと

以上の各事実が認められる。

被告人及び寛二は、公判廷において、当初開店したグランドタイガーは、寛二が黒柳を使って経営したもので被告人は全く関与しておらず、また新規出店等の最終決定は寛二がしていたもので、同人は単に資金調達のみを行っていたものではない旨供述するが、たとえバー、キャバレー等の経営経験を有する黒柳を使用していたとしても、それまで全く同種店舗の経営経験のない寛二が、突然単独経営を行ったというのは不自然であるのに対し、被告人および寛二が黒柳に表面上営業を任せた形にしたとする理由について、検察官及び大蔵事務官に対して供述する部分は、それなりに合理的であって不自然なところもなく、十分信用できることに加え、同店の経理殊に現金の管理及び経費の支払が、被告人が大沢昱らから経営権を譲り受けた他二店と区別されず、一括して行われていたことからすると、グランドタイガーも他二店と同様被告人の統括下に置かれ、経営されていたものと認めざるをえず、また、その後の新規出店等についても寛二は営業経験が全くないのであるから、新規出店の費用、予想売上及び収益などについて的確に判断することは困難であって、右諸条件を勘案して銀行借入の返済可能性などの重要な要素について判断しうるのは、経営及び営業経験を有する被告人であると解するのが相当であることに照らすと、右の各点に関する被告人及び寛二の公判廷における各供述はいずれも措信できず、また、被告会社の営業部長であった菅原清寿は公判廷において、本件事業は寛二の単独経営であると思っていた旨供述するが、(第一七回公判調書中の同人の供述部分)、右供述は同人の大蔵事務官に対する各質問てん末書における供述に手見らすとにわかに措信できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2 右の各事実、殊に被告人が全店舗の営業を統括し、その人事権を有し、新規出店についても厳終決定権を有していること、銀行借入や不動産の取得等、重要な対外的法律行為のほとんどすべてが被告人名義でなされていることに加え、そもそも本件事業の経営は特殊なもので、その知識経験を有する被告人の存在なくして成立しないことや、前記認定のとおり、寛二は被告人を援助し独立させるため上京してきたものであるという事業開始に至る経緯、更に被告人及び寛二は検察官及び大蔵事務官に対し、一貫して本件店舗は被告人が経営していたものであることを認める供述をしていること(被告人及び寛二の検察官及び大蔵事務官に対する右各供述は、後記二記載のとおり十分信用できる。)に照らすと、本件事業について支配的影響力を有している者、すなわち本件事業の経営者は被告人であるといわざるを得ず、したがって、その事業所得も被告人に帰属するものと認められる。

なるほど、前記認定のように寛二は当初の開業資金や、被告人が大沢昱らから二店の経営権を譲り受ける要因ともなった多額の支出をしており、経理事務等を担当して被告人を輔佐するようになってからも給料として確定額の支払も受けず、事業収入から家計費など必要最少額の金員を随時使用しており、また、被告人の実印などを保管し、必要に応じて適宜使用するなど、単なる経理事務担当者とはいえない面も有し、右の事実からすると、本件事業には被告人および寛二が親子の力を結集して、一個の事業を行っていたという面もあることは否定できないが、前記認定のとおり、本件事業について支配的影響力を有していた者は被告人であるうえ、本件当時、被告人と寛二との間には利益配分の約束もその事実も認められず、仮に本件事業収益について、寛二がその寄与分について被告人に分配要求の主張ができるものとしても、それは一種の期待権に過ぎず、本件各年度において、被告人及び寛二がそれぞれ独立して、税法上の実質所得者として利益を享受している状態にあったとはいえないから、被告人の事業所得が二分の一になるものということもできない。

被告人及び寛二は公判廷において、本件各店舗が寛二の単独経営あるいは被告人と寛二の共同経営であるかのように供述するが、右各供述は前記認定の各事実に照らして措信できない。(なお、個人営業の店舗の事業所得について、昭和五一年度と同五二年度はそれらの一部が被告人加藤寛の所得として所得税の確定申告がなされ、昭和五三年度は右申告対象であった三店が被告会社の経営に組入れられた関係から、被告人の所得には事業所得がなかったとして確定申告がなされ、残る個人経営店舗のうち二店分だけが加藤寛二の事業所得であるとして、同人名義で所得税の確定申告がなされているが、右二店分の経営が他の個人経営の店舗と分離・独立して行われた形跡はなく、被告人から加藤寛二に経営権が譲渡された事実も認められないから、右寛二名義の申告は実体に合わない申告といわざるを得ず、これをもって寛二が個人営業分の事業の一部を自ら経営していた証左とすることもできない。)

したがって、この点に関する弁護人らの主張は採用できない。

二  脱税の犯意及び実行行為について

1 被告人は、所得税及び法人税のほ脱の犯意及び各確定申告手続への関与状況について、検察官及び大蔵事務官に対し、おおむね次のように供述している。すなわち、「バー、キャバレーの業界では多額の脱税をするのがあたりまえであり、また私は経営する店舗の数を増やすための資金や、個人的借入金を返済したり、自宅やモーターボートを購入するための資金が必要であったため、過少申告していたものである。私は父(寛二)に売上金の管理、資金繰り、経理等をしてもらっており、確定申告書の作成も父に任せていた。確定申告書作成前には、利益から借入金などの支払をすると、どの位残るかなという相談をする程度で、後は父に任せており、できあがった確定申告書は、所轄の税務署に提出する前に父から見せられている。毎年の売上は六億円から七億円位あり、確定申告書に記載された収入や税額を見て、過少申告であることは十分承知しながら、父にそれを所轄の税務署に提出してもらっていた。昭和五一年分の所得税確定申告書は、昭和五二年三月一〇日過ぎ丸正マンション四〇五号室で、昭和五二年分は昭和五三年三月一〇日過ぎに鎌倉の自宅で、昭和五三年分は昭和五四年二月中旬ころ鎌倉の自宅で、寛二名義の所得税確定申告書は昭和五四年三月一〇日過ぎころ、鎌倉の自宅でそれぞれ父から見せられ、株式会社加藤の昭和五三年三月期の法人税確定申告書も、昭和五三年五月下旬ころ鎌倉の自宅で父から見せてもらったが、売上高は三〇〇〇万円位少なくしてあった。」旨経理関係の処理をしていた寛二の作成した各確定申告書の記載が、虚偽過少なものであることを認識しながら、被告人が脱税の意思をもって、寛二をしてこれを所轄税務署に提出させたという、本件各犯行を自白する供述をしているところ、右供述のうち、脱税の犯意に関する供述は、被告人が長年バー、キャバレー業界で働き、独立以前から経営に参画する経験を有し、その内情に精通していることや、昭和四九年から僅か三年余りのうちに合計一六店舗を開店し(そのうちには他に譲渡したり、後に廃業したのもあるが)そのため相当額の資金を要していること、また前記一において認定したように昭和五一年二月にはモーターボートを三五九六万円で、同年八月には自宅を一億五〇〇万円で購入しており、そのローン返済にも多額の資金を要する状況にあったこと、などの客観的事実に照らして十分首肯できるものであり、被告人が寛二の作成した各確定申告書を、所轄税務署に提出する前に見せられ、内容を了知しながら、その提出をさせていた旨の供述を含め、被告人の供述は捜査段階において一貫していることに加え、寛二も検察官及び大蔵事務官に対し、「私は寛(被告人)が最初に店を持った時から、寛に事業の経理面を任され処理してきた。確定申告にあたっては、私も寛と同様、税金に払う金があったら投資にまわした方がよいと思い過少申告することにし、資金繰りも考えて、納税する金額について、これだけの金額が手元にあれば何とかやりくりできるという金額を決めて、それに見合う売上や経費の額を事務員に計算させ、その一覧表を小西貞夫に見せ、それに基づいて確定申告書を作ってもらった。寛とは確定申告書作成前には、納税額などについて相談したことはないが、作成後には自宅に持ち返って、寛に目を通してもらったうえで所轄税務署に提出した。昭和五三年分のうち二店について私名義で確定申告したのは、右店舗の営業名義が私になっており、寛名義で申告した場合よりは累進課税の適用上有利と思ったからで、私が経営していたためではない。寛とは店の売上や利益率について話しており、寛は各年の売上が六、七億円であることや、株式会社加藤経営の三店舗の売上も知っており、脱税していることは知っていた。」旨おおむね被告人の供述に沿う供述をしているうえ、被告人は、昭和五四年四月から、寛二は同年六月から、いずれも国税局において国税査察官から質問を受け、それぞれ、職務分担、営業状況、脱税の犯意、確定申告書の作成及び所轄税務署への提出経過などの事実関係について詳細に供述しているものであるところ、その間被告人及び寛二は在宅のままで任意に供述できる立場にあったものであり、被告人及び寛二の公判供述によれば、国税局における質問・調査のかなり早期に刑事事件に発展することが予測されていたもので、被告人は被告人及び寛二もその認識を有していたことが認められ、しかも本件が国税局から検察庁に告発される以前の段階において、被告人及び寛二には弁護人が選任され税理士も関与しており、右弁護人選出後の検察官による取調べに際しても、被告人及び寛二はおおむね国税局における質問の際と同様の供述をし、犯行を認める供述をしていること及び被告人及び寛二の大蔵事務官及び検察官に対する各供述は関係証拠とも符合していることなどの事情に照らすと、被告人の検察官及び大蔵事務官に対する供述(自白)は十分信用することができ、これに沿う寛二の検察官及び大蔵事務官に対する供述もまた十分信用できるのであって、これらによれば、被告人が本件各所得税及び法人税の各確定申告手続の際、脱税の犯意を有し、かつその意図のもとに、寛二が作成した各確定申告書の所得金額及び税額が、虚偽過少のものであることを認識しながら、同人をしてこれを所轄税務署に提出させたものであることは、十分に認めることができる。

2 これに対し弁護人は、被告人の検察官及び大蔵事務官に対する供述は、被告人が寛二に代わって一人で刑事責任を負う意図から、また寛二の検察官及び大蔵事務官に対する供述は右事情に加え、本件を修正申告で解決しようとの意図から、いずれも取調官に迎合してなされたもので、次に述べるように犯意及び実行行為に関する供述はもとより、供述全体をみても不自然不合理な点や取調官の誘導による、あるいは取調官に迎合した虚偽の供述としか思えない供述が多く、また関係証拠に照らしても不自然な点があり、到底信用できないものである旨主張する。すなわち、

(一) 被告人は、大蔵事務官の質問に際し、確定申告書作成前に寛二と申告額について相談したと供述するが、その供述は具体性に欠けるばかりでなく、確定申告は事業家にとって重大な関心事であり、その機会は一年に一度しかないのに、相談した日時場所は思い出せないと供述するなど、その供述は信用できないばかりでなく、寛二は所得金額、納税額について相談したことはない旨、被告人と矛盾する供述をしていること

(二) 被告人は、大蔵事務官に対し、確定申告書を寛二から見せられた日時場所について、思い出せないと供述しながら、その後の検察官の取調べにおいては、確定申告書を見た日及び場所を明確に特定して供述しているもので、右供述の変遷は不自然といわざるをえず、右供述の変遷は、検察官の誘導に対して、被告人が迎合して供述したためとしか考えられないものであって信用できず、このことは逆に、被告人が確定申告書を所轄税務署に提出する以前に見ていないことの証左であること

(三) 被告人が各確定申告書を所轄税務署提出前に見ているのであれば、署名欄に自署すれば足りるのに被告人は一度も自署しておらず、殊に株式会社の確定申告の際には、寛二は小西税理士から被告人に署名させるよう言われていたため、自らの字体と変えて被告人の筆跡に似せて署名欄に代書したというのであるが、被告人が確定申告書を見ているとすれば、被告人が自署すれば足りるのであって、寛二が筆跡を変えてまで代書したというのは不自然不合理であり、右事実からも被告人が確定申告書を見ていないことは明らかであること

(四) 被告人は、検察官に対し、脱税の動機のひとつとして、キャバレー、バーなどの業界における脱税の風潮をあげ、更に大沢進が二七〇万円と記載して過少申告をしたり、大沢昱が無申告であることを知っていた旨供述しているが、被告人が同人らの脱税行為を知っていたという証拠はなく、右供述も被告人の脱税の犯意を強調するため、検察官が既得の知識により被告人を誘導し、被告人もこれに迎合して供述したことは明らかであり、信用できないこと

(五) 被告人及び寛二は、検察官に対し、脱税した金額について将来修正申告すると共に、それ以降は正しい申告をしようと考え、帳簿書類を保存していた旨供述するが、脱税により蓄財をなした者が、修正申告して税金を納めようと考えるというのは不自然極まりなく、右供述は、大沢らが帳簿を残していなかったことから、被告人らが帳簿を残していた理由を合理化し、被告人の脱税の犯意を明確にさせるため、検察官が誘導して供述させたものであることは明らかであって信用できず、帳簿書類を保存していたことは、逆に被告人らに脱税の犯意がなかったことの証左であること

(六) 被告人は、大蔵事務官及び検察官に対し、「大船ビーナス」を寛二の営業名にしたのは、風俗営業許可申請にあたり、店舗の賃貸借契約書を提出する必要があったが、被告人が風俗営業取締法違反の前科の関係で、被告人名義を使用できなかったためであり、「大宮歌麿」も同様の理由で寛二名義にした旨供述し、寛二も検察官に対し同趣旨の供述をしているが、当時被告人には許可申請の法律的障害はなかったし、許可申請にあたり、賃貸借契約書の添付も必要とされていなかったもので、右供述は全く事実に反する供述であって、信用できないものであること

(七) 寛二は、大蔵事務官及び検察官に対し、「大船ビーナス」「大宮歌麿」の二店の所得につき、自己名義で申告したことについて、被告人の所得として申告すると累進課税により税額が大きくなり、資金繰りに苦しくなるので、これを避けるためであったなどと供述しているが、そうであれば無申告とすれば足りるのに、そうしなかったというのは不自然であること

(八) 被告人及び寛二は、検察官に対し、被告会社の取締役会を昭和五三年三月二〇日、鎌倉の自宅で開催した旨供述しているが、株式会社とはいえ、被告人及び寛二親子のみで経営している零細同族会社において、わざわざ取締役会を開催するはずはなく、被告会社の取締役であった証人青山昭男が公判廷において、取締役会のことについて全く供述していないことからも、右取締役会開催の供述が虚偽であることは明らかであること

(九) 寛二は、大蔵事務官に対し、本件法人税確定申告の際、小西税理士に正しい金額の計算をしてもらったことがある旨供述しているが、小西税理士は帳簿等を見ておらず、寛二から示された台帳及び集計表に基づいて確定申告書を作成していたに過ぎず、正確な税額計算ができるはずはなく、右供述が虚偽であることは明らかであること

(一〇) 被告人の大蔵事務官及び検察官に対する供述には、全体に売上、申告額、役員報酬など具体的数額が含まれているものが多いが、被告人が経理の実際についてほとんど無知であったことからして、右供述は既に作成されていた寛二の供述調書や既得の資料によって、取調官が被告人を誘導して供述させたものであることは明らかであって、信用できないこと

(一一) 確定申告書を作成し、またはその指導にあたっていた小西税理士は、確定申告手続に関与していたのは寛二のみであった旨供述し、被告会社の事務員として経理事務に携わっていた福士幸男も、確定申告手続については寛二の指示を受けていた旨供述し、被告人の関与について全く供述していないことからして、被告人が確定申告手続に関与していなかったことは明らかであること

の事実をあげ、被告人及び寛二の検察官及び大蔵事務官に対する各供述は、いずれも信用できないものであると主張し、被告人も公判廷において「私は経理関係については一切関与しておらず、確定申告書も父から見せられたことはなく、査察官の質問の際初めて見たものである。申告書を見た時期の供述も、検察官からそれを確定しないとまずいと言われ、でたらめなことを言ったものである。そのように虚偽の供述をしたのは、国税局の田中査察官や検察官に、私と父が二人で罪になる必要はないから私一人で罪をかぶるよう言われ、修正申告ですませるのであれば、供述調書は別に調べないから何と述べても関係ないし、どうせ執行猶予になるからなどと言われたからで、ほとんど取調官の言うままに調書を作成した。」旨弁護人の主張に沿う供述をし、寛二も公判廷において「本件確定申告はすべて私の一存で行ったもので、寛は全く関与していないし、所轄税務署に確定申告書を提出する前にそれを寛に見せたこともない。納税額は申告当時金庫にある現金や預金を全部納めれば大丈夫だろうと思い、その金額に基づいて私が決め、それに合うように売上高等も決めていたもので、累計計算をしていないので、実際の売上高はもとより利益率などもわからない。私には累進課税という言葉の意味もよくわからない。私が取調官に対し虚偽の供述をしたのは、寛が査察官から寛と私が二人で罪になることはないから、寛一人で責任を負うように言われたと寛から聞き、査察後相談した泉経営研究センターを主宰し、税金関係に詳しい泉欣七郎などからも、修正申告にもっていくことになるだろうから、取調官の心証をよくすることが大事だと言われたので、取調官の心証を害さないよう、事件にならずに修正申告で済むよう、取調官の言うことに迎合したためである。

私は刑事事件になっても一、二回で終わり、どういう判決かわからないが、罰金なんかはくるんじゃないかと思っていた。」旨弁護人の主張に沿う供述をしている。

3 そこでまず、弁護人の主張について検討する。(本項の文中で引用する番号は、断りのない限り前記2記載の番号である。)

(一) (一)につき、なるほど被告人は大蔵事務官に対し、寛二と「各店からの利益のうち、店を取得するための借入金の返済や造作などの支払をすると、このくらい残るかな。」という話をしたが、その話をした日や場所は思い出せない旨供述していることは、弁護人の指摘するとおりであるが、そもそも被告人は経理全般について寛二に委ねていたものであるから、寛二との話しあいが右程度の内容であったとしても、なんら不自然とはいえず、また被告人及び寛二は、昭和五二年八月までは部屋こそ違うが同じマンションに居住し、深夜各店からの売上金等の受取事務など一緒に行っており、同月以降も鎌倉の同一敷地内に居住していたのであるから、納税額等を決定するための正式な相談をしたというのはともかく、実親子関係にあり、共に事業の拡大をめざしていた被告人と寛二が、日頃右のようないわば雑談的な話をしているであろうことは容易に推測されるのであって、右のような雑談程度の話をした日や場所について記憶がないからといって、格別不自然とはいえない。また寛二は大蔵事務官に対し、申告に際して所得金額や納税額を決定するための相談はしていない旨供述しているが、納税額等の決定自体については被告人も寛二に一任し、申告金額を確定する相談まではしていないというのであるから、必ずしも被告人と寛二の供述が矛盾するものとはいえない。

(二) (二)につき、被告人が確定申告書を見た日時場所について、大蔵事務官及び検察官に対し異なる供述をしていることは、弁護人の指摘するとおりであるが、右のような記憶の回復や供述の変化かあったからといって格別不自然ではないし、右の供述変化の理由について、公判廷において「検事さんは(確定申告書を)見たと言っても、日にちとか場所とかを確定しないとまずいんだというのです。私は実際には(確定申告書を)見ていないので、検事さんに確定申告書を税務署に提出した日を聞いて、でたらめにそれなりの以前の日にちに見たことに決めて、収受印の半月か二〇日以上前に見たように言った。しかしあとで見たと言った日にちのころには、まだ出来ていなかったようなことを聞いたが、大した問題じゃないからと思ってそのままにしていた。」旨検察官の誘導により供述するに至ったかのように供述するが、被告人の検察官に対する昭和五五年三月五日付(一二枚綴)供述調書によれば、被告人が各確定申告書を見たと供述する日にちのうちには収受印の半月あるいは二〇日以上前というものではないのであって、検察官誘導により確定申告書を見た日時場所についてでたらめな供述したという、被告人の公判廷における右供述は到底措信できず、前記の供述の変化が、被告人が確定申告書を所轄税務署に提出する以前に見ていないことの証左である、ともいえない。

(三) (三)につき、被告人が各確定申告書の署名欄に自署していないことは、弁護人の指摘するとおりであるが、寛二が署名についてさほど注意を払っていなかったことは、同人が昭和五二年分及び昭和五三年分の被告人の所得税確定申告をする際、小西税理士が加藤寛と署名した申告書をそのまま所轄税務署に提出していることから明らかであり、寛二は公判廷において、小西税理士からいつも本人に署名させなければだめだと言われていたが、本人と連絡をとらないので、法人税確定申告書の代表者欄には私が字体を変えて加藤寛と署名した旨供述するが、小西は捜査公判を通じ、寛二に対して被告人に自署させるよう注意していたことについて供述していないばかりか、寛二が小西から右のように言われてそれに注意を払っていたというのであれば、昭和五二年分及び昭和五三年分の所得税確定申告書について、前記のような扱いをしたというのは不自然であって、法人税確定申告書について経理責任者と代表者の字体が異なり、それに合う押印がなされていれば所轄税務署はこれを受け付けるのが通常であり、そのため寛二は従来と同様に被告人に自署させることなく、単に字体をかえて被告人名を記載したと考えられ、被告人が署名していないからといって、被告人が各確定申告書を見ていないとはいえない。

(四) 被告人は長年バー、キャバレーなどの業界におり、右業界の脱税の風潮は十分知っていたと推測され、また一時は大沢昱や大沢進らとの共同経営までしており、更に公判廷において、大沢昱の事務所へも行って同人ともよく話をする旨供述し、寛二も検察官に対し、被告人から被告人が大沢昱や大沢進らと本件のことについて話をしたと聞いた旨供述していること(寛二の検察官に対する昭和五五年三月七日付供述調書)からすると、被告人が大沢昱や大沢進の脱税状況について、知っていたとしてもなんら不自然とはいえず、この点に関する被告人の検察官に対する供述が誘導によるものとはいえない。

(五) (五)につき、被告人や寛二が検察官に対し弁護人の指摘するような供述をしていることは認められ、右各供述が被告人や寛二の真意であったかについては、直ちに信用できるものとは言えないが、被告人及び寛二の右供述調書全体の記載を見れば、検察官が被告人や寛二の弁解を十分に聞き、それを調書化したものであることは十分に窺われるうえ、殊に寛二の右部分の記載中には、書類を保存していたことについて、被告人が大沢昱や大沢進から馬鹿にされたことを被告人から聞いた旨の、寛二が供述しなければ捜査官には判明しないような事実の供述も含まれていることに照らすと、弁護人の指摘する部分の供述が検察官の誘導によるものということはできない。また被告人及び寛二は、保存していた書類によって売上高などを把握していたことも供述しているのであって、被告人らが開店資金調達などのため銀行融資を受けていることからすると、売上高や利益の把握のためもあって、書類を保存していたという面もあるものと考えられ、書類を保存していたからといって何ら不自然とはいえないし、脱税の犯意を否定する理由ともならない。

(六) (六)につき、被告人及び寛二が取調官に対し、「大船ビーナス」及び「大宮歌麿」の二店を寛二の営業名義にした理由について、弁護人の指摘するような供述をしたこと及び少なくとも被告人の風俗営業取締法違反の前科の関係で、被告人名義を使用することができなかったという供述が、事実に反するもので信用できないものであることは認められるが、そもそもバー、キャバレーの営業においては、真の経営者が営業名義人となることは少なく、従業員等を営業名義人とすることも世上一般に行われていることであって、営業名義は、それが真の経営者を表すというような種類の重要な事柄ではないから、このような瑣末な事柄について事実に反した供述をしているからといって、直ちに供述全体の信用性を低下させるものとはいえない。

(七) (七)につき、寛二が検察官及び大蔵事務官に対し、弁護人の指摘するような供述をしていることは認められるが、被告人は独立して五年後に税務調査があると聞いていたというのであるから、右程度のことは寛二も十分認識していたものと考えられるのであって、税務調査のため寛二や被告人が、それまでに営業している店舗について、できる限り納税申告をしている、いわば正規の店舗にしたいとの気持を有していたであろうことは、容易に推測できるところであって、申告するとすれば寛の所得とした場合の累進課税の不利益を避けるため、寛二名義で申告したという理由も十分納得できるものであることからすると、寛二の右供述が格別不自然なものとはいえない。

(八) (八)につき弁護人は、被告会社のような零細企業において取締役会を開くはずはない旨主張するが、鎌倉の自宅で被告会社の取締役会が開催されていたこと自体は、寛二が公判廷で認めているところであり(第一四回公判期日)、右取締役会開催に関する被告人(昭和五五年四月一一日付)及び寛二(昭和五五年四月一二日付)の検察官に対する各供述調書は、いずれも具体的かつ詳細であり、右各供述に沿う取締役会議事録も存在することを合わせ考えると、右各供述調書は十分信用できるものということができ、また、青山は取締役会開催についてなんら質問されておらず、この点について何ら供述していないのは当然であって、同人がこの点について供述していないからといって、取締役会に関する被告人及び寛二の検察官に対する各供述が、虚偽であるということができないことは明らかである。

(九) 寛二が大蔵事務官に対し、弁護人の指摘するような供述をしていることは認められるが、仮に右供述が事実に反しているとしても、右供述は寛二が事務員の福士幸男に、被告会社の昭和五三年三月期の試算表の売上金額などを減少させて、試算表を改ざんさせたことに付随して供述されているものに過ぎず、寛二の指示により福士が売上金額を減少させて試算表を作成したこと自体は、同人の大蔵事務官に対する質問てん末書によって明らかであり、前記の寛二の供述が仮に事実に反するものであったとしても、同人の検察官及び大蔵事務官に対する供述全体の信用性を左右するものとはいえない。

(一〇) (一〇)につき、なるほど被告人は、本件事業の経理関係についてはそれほど関与しておらず、捜査官等による取調べの当時、具体的数額のすべてを記載していたものでないことは容易に推認できるが、捜査官等が被告人の記憶喚起のため各種資料に基づいて尋問し、供述を求めること自体は何ら違法とはいえず、右のような取調べによって、直ちにその供述の信用性が失われるものということはできないし、被告人の検察官に対する供述調書の一部に、寛二の検察官に対する供述調書の記載に類似した部分があるとしても、被告人及び寛二はおおむね同一認識のもとに行動していたものであるから、類似した供述をしていること自体は格別不自然とはいえないうえ、被告人は公判廷において、検察官から寛二の調書を読み聞かされ、あるいは見せられて数字の出てくるところは、寛二の調書をそのまま写した旨供述するが、被告人の検察官に対する各供述を子細に検討すると、売上高、利益率など重要な点において、被告人と寛二の供述は同一のものとはなっていないのであって、検察官の取調状況に関する被告人の公判廷における右供述は到底措信できず、被告人の検察官に対する供述が、誘導による違法な取調べによってなされたものということはできない。

(一一) (一一)につき、小西税理士は、単に時折被告会社及び被告人の事務所で事務員に対して帳簿作成の指導をしたり、寛二からメモを渡され、それに基づいて確定申告書を作成していたに過ぎないのであるから、確定申告書についての被告人の関与状況について知らないのは当然であるし、福士幸男も昼間事務所において寛二の指示に従い機械的事務を行っていたものに過ぎず、被告人は昼間ほとんど事務所にいないのであるから、福士が確定申告手続について寛二のみから指示を受け、被告人から指示を受けたりしたことがないこともむしろ当然であって、小西税理士や福士が確定申告手続に被告人が関与していた旨供述していないからといって、被告人が右手続に関与しなかったものということはできない。

以上のように弁護人の指摘する事実のうちにはその主張に沿う部分も一部認められるが、前記1において認定した各事実に照らすと、右程度の事実をもってしては、未だ被告人や寛二の検察官及び大蔵事務官に対する各供述調書の信用性が低いもの、あるいは信用性がないものということはできない。

4 次に被告人及び寛二の公判廷における各供述についてみるに、右各供述には前記のように種々不自然あるいは信用できない点があるうえ、被告人は売上自体は大体把握していたが、利益率などは全くわからない旨、寛二も売上高や利益率など全くわからない旨供述するところ、被告人は毎日売上累計帳を記入しており、寛二から売上が伸びない、利益が出ないとばかり言われていたとも供述しており、更に福士幸男の大蔵事務官に対する質問てん末書によれば、同人は日計表から毎月売上高や経費等を正確に記載した一覧表を作っていたというのであるから、右事実によれば寛二が売上高や利益率について一応の認識を有していたことは優に推認できるところであって、そもそも右のような点についてさえ不明であるとすれば、銀行融資を受けて新規出店の資金繰りをすることなど到底できるものでなく、被告人や寛二の右の点に関する供述が虚偽であることは明らかであり、また寛二は石油関係の会社とはいえ、長年総務関係の仕事を行い、その後専務取締役として会社の再建に従事してきたという経歴を有しながら累進課税の意味すらわからない旨、あるいは、福士に売上高のみ一部を減少させて税額を減少させようとしたことは、同人の大蔵事務官に対する質問てん末書により明らかであるのに、これを福士か誰が売上が多いと利益が同じでも税金が高くなると言うので、売上も経費も同額だけ引いてメモを作って計算させたなど、不自然かつ明らかに虚偽と思える供述をし、更に被告人を一人前にして独立させようとの意図で上京したというのに、事業家として重要な納税に関して確定申告書を見せることさえしていないと供述するなど、自分自身は経理関係に無知であること及び被告人は本件に全く関与していなかったことをことさら強調する供述に終始しているものであること、また被告人の公判供述によれば、被告人は自らの経営する事業による利益獲得の状況につき、全く無関心であったことになるが、それが極めて不自然であることは言うまでもなく、全てを寛二に押しつけ、自らは全く関与していないとして罪責を免れようという態度が看取されるのであって、更に虚偽の供述をした理由として、被告人は査察官や検察官に被告人が一人で罪をかぶるよう言われた旨供述し、更に寛二は右に加え取調官の心証を害さず、事件にならないで修正申告で済むよう取調官に迎合して供述した旨供述するが、前記のとおり、被告人及び寛二はいずれも在宅のまま取調べを受け、しかも国税局から検察庁に告発される以前の段階で弁護人を選任したり、税理士等にも相談しており、起訴検察官である戸谷勝壽の公判廷における供述によれば、同検察官は被告人らと同行した弁護人とも面接していることも認められるのであって、(第二一回公判調書中の証人戸谷勝壽の供述部分)右のような取調べ当時の状況に照らせば、同検察官が被告人の供述するような趣旨の発言をするものとは考え難く、また検察庁に告発され、既に事件となった後にも被告人はもとより、寛二も大蔵事務官に対すると同趣旨の供述を続けていること、更には被告人及び寛二が虚偽の供述をしたとする理由について、被告人や寛二が当時選任されていた弁護人や関係者に述べた形跡は窺えず、公判廷になって初めて供述するに至ったものであることなどの事情に照らすと、被告人の公判廷における供述は自らの罪責を免れるため、寛二の公判廷における供述も被告人の罪責を免れさせるための虚偽の供述である疑いが強く、到底措信することはできない。

したがって、この点に関する弁護人らの主張は採用できない。

三  所得金額について

1 売上金額について

弁護人らは、被告人及び被告会社の経営にかかる店舗の売上金額とされるもののうち、一一分の一は料飲税であり、預り金の性格を有するものであるから、売上金額から減額すべきである旨主張するが、地方税法上の特別徴収義務者が客から徴収した飲料税相当額については、客から徴収した時点において、売上金と同様自由に使用収益処分しうる経済的利益を得ているものであり、また被告会社は被告人と同様に、料飲税部分について売上金とは別の預り金としての経理もしていないことからすると、本件の料飲税相当額については申告等によりはじめて債務として確定し、納税義務が生じて必要経費あるいは損金として処理することが許されるものと解するのが相当であって、しかも被告人や被告会社は本件において料飲税の一部を申告しているに過ぎないのであるから、そのほ脱部分を売上金額から減額することは許されないものといわなければならない。

2 モーターボートの購入費及び運行費用について

弁護人らはモーターボートの購入費及び運行費用は、従業員のための福利厚生費であるから経費とすべきである旨主張するが、前掲各証拠によれば、本件モーターボートは被告人及びその父寛二が小型船舶の操縦免許を有していたことから、右両名の個人的趣味のため購入したもので、それを従業員にも一部使用させていたにすぎないものであること、右ボートの所有名義は被告人であり、その代金等は営業利益の中から支払われていたものであることが認められるのであって、右事実によれば、右ボートの購入費用及び運行費用が福利厚生費とならないことは明らかである。

3 旅費、交通費について

弁護人らは寛二が営業資金調達のため函館及び仙台に赴いており、その旅費交通費は経費である旨主張するが、本件全証拠によっても寛二が資金調達のため、函館などに赴いたものであることは認めることはできず、またその数額も不明であるから右の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人加藤寛の判示第一の一ないし三の各所為はいずれも昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、判示第二の所為は昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一五九条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一の一ないし三の各罪について所定刑中懲役刑と罰金刑とを併料することとし、判示第二の罪について懲役刑を選択し、判示第一の一ないし三の各罪についてはいずれも情状により所得税法二三八条二項を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条二項により判示第一の一ないし三の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で同被告人を懲役一年六月及び罰金三〇〇〇万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一〇万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとする。

更に、被告人加藤寛の判示第二の所為は被告人株式会社加藤の業務に関してなされたものであるから、被告人株式会社加藤は、昭和五六年法律題五四号による改正前の法人税法一六四条一項により、判示題二の罪について、同じく改正前の同法一五九条一項の罰金刑が課せられるべきこととなるので、その所定金額の範囲内で株式会社加藤を罰金三〇〇万円に処することとする。

なお、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、被告人が個人で経営するバー、キャバレーの営業などによって多額の利益を得ながら、三年間にわたって、二億三二〇〇万円余りの所得を秘匿し、一億四七〇〇万円余りの所得税を免れると共に、個人経営店の一部を被告会社の経営とし、自らその経営にあたり、被告会社に関しても三三〇〇万円近くの所得を秘匿し、一三〇〇万円余りの法人税を免れたという事案であるが、被告人は昭和四九年父寛二の援助を受けてこの種事業者として独立するや、同人と共に事業を拡大する目的で納税面での不正を開始し、巨額の利益を得ながら、これを事業拡大のための投資や自宅、モーターボートの購入に当てたり、あるいは預金して蓄財するなどして私利を追及していたもので動機において酌量すべき事情は認められず、そのほ脱所得額は巨額であり、その所得ほ脱率も個人分八七パーセント強、法人分八八パーセント強といずれも高率であり、悪質であること、被告人は捜査段階においては犯行を自白したものの、公判廷においては犯意及び実行行為を否認するのみならず、各店の経営者は寛二であって自分は単に営業面を担当していたに過ぎないなどと自己の刑責を免れるための虚偽の供述に終始しているもので反省の情が認められないこと、また不正に納税を免れる行為は納税者間の衡平、公正な租税負担を害し、申告納税制度の下で誠実な一般納税者の納税意欲や、納税倫理を損う結果をもたらしかるねない反社会的行為であって、社会に及ぼす悪影響も大きいものといわざるをえず、その刑事責任は重く実刑に処することも十分考えられるところである。

しかしながら、他方、被告人は本件事業の経理面についてはほとんど寛二に任せ、具体的な申告金額の決定についても同人に委ね、単におおまかな話し合いをして了承を与えていたものに過ぎず、不正行為に対する関与の度合は寛二に比べて低いこと、被告会社及び被告人個人の経営する店舗については、主として被告人の営業の力量、才覚によって発展してきたもので、被告人を欠くことになればその影響は大きいものと推察されること、加藤寛二や他の家族の多額の出資金を適切に経理上の処理をするなどしていれば、合法的に相当額の節税が可能であったとも見られること、被告人は現在税理士の指導のもとに寛二と共に経理について改善を図っていること、被告人には同種前科がないことなど、被告人に有利に考慮すべき事情も認められるので、これらの事情を総合勘案すると、被告人に対しては直ちに実刑に処するよりは、今回に限り懲役刑の執行を猶予し、本件について反省と自戒を促し、社会内において更生する機会を与え、被告会社に対しては主文掲記の罰金に処するのを相当と思料した次第である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 和田保 裁判官 並木正男 裁判官 植垣勝裕)

別表一 所得金額総括表

(一)

自 昭和51年1月31日

至 昭和51年12月31日

〈省略〉

修正損益計算書(事業所得)

(二)

自 昭和51年1月1日

至 昭和51年12月31日

〈省略〉

別表二 所得金額総括表

(一)

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

修正損益計算書(事業所得)

(二)

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

別表三 所得金額総括表

(一)

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

修正損益計算書(事業所得)

(二)

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

別表四 修正損益計算書

株式会社 加藤

自 昭和52年7月5日

至 昭和53年3月31日

〈省略〉

別表五 税額計算書

(一)

自昭昭和51年1月1日

至 昭和51年12月31日

(△はマイナスを表わす)

〈省略〉

税額計算書

(二)

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

(△はマイナスを表わす)

〈省略〉

税額計算書

(三)

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

(△はマイナスを表わす)

〈省略〉

税額計算書

(四)

自 昭和52年7月5日

至 昭和53年3月31日

〈省略〉

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